東北関東大地震の体験(その3~10日経ち)

東北関東大地震の体験(その3~10日経ち)
 3月15日(火)の夜には今度は静岡県で震度5強の地震が発生し、関東でも震度3とかなり揺れた。たび重なる余震で疲弊している身には堪えた。この地区での余震も追加された訳で、三陸、中越、静岡のトリオで責め立てられたのだ。因みに加入している携帯電話会社には地震発生後ただちに知らせるサービスがあるのだがこれが精度が結構低い。大した揺れでもなかったり、かなりの余震でも知らせがなかったりとちぐはぐ。更にこうしたサービスが事前に余震の恐怖をかなり盛り上げてくれるものだから大変だ。オフィスにはこの(恐怖の)サービスの着メロを自らの呼出し音に使っている輩もいて時々ドキッとしてしまう。
 そうこうしているうちに二度目の休日を向かえ、都心のデパートに買い物に出掛けた。地下の食品売り場は大変な混雑だがいつもより品物の量が多い。この時とばかりに仕入れたものなのであろう。一方、近所のスーパー(駅に近い)では逆にトイレット・ペーパーや牛乳が全く無い。一人一個に制限されても開店と同時に売り切れてしまうらしい。それで駅から程遠い大型スーパーに行くと牛乳は入手できたし他の食材もまあまあ揃っていた。お米は品切れだったが、格安酒屋さんにはあった。とまあ探せば色々ありそうである。幸いJASONは下町に住み暮らしているためか周辺には一般の商店が多い。特に手作りの豆腐なんか初体験ながら相当に美味しく価格もリーズナブルであった。
 この三連休は計画停電は無い(と思われる)ようだが、明日からはまた厳しい現実がスタートする。このままいけば原発事故と電力不足は首都圏に深刻な影響を齎すであろう。特に夏場は首都圏全域で計画停電の予想すら出ているほどだ。因みに原発事故に関する発表や報道に胡散臭いものを感じて信憑性を疑う声が大きい。しかし発表には個人情報以上の慎重な配慮もまた必要なことなのだ。現場での様々な対応よりもそうした発表の「匙加減」が相当稚拙だと思わざるを得ない。ここ消防庁が登場してからはかなり改善されてはいるようだが。
 さて昨今の日本経済(というか日本そのもの)の状態を診ると、明らかに老齢期に入ってきているのが分かる。JASONは老齢期に入っている身だから分かるのだが、決して30代、40代には戻れないのだ。我が国とて同じなのだが、一部には過去の日本経済の発展が再びやってくると信じている輩が居るのは誠に遺憾である。今できることは身体同様に「歳をとるのを遅らせること」或いは「生まれ変わり」しかあり得ない。そして今回の震災により原発という「不治の病」が発覚したわけだ。歳とって癌が発生したようなものだろう。癌で直ぐに死ぬ人もいれば、そのまま生き長らえる人も居る。それはこれからの我々の生き方、処し方に掛っている(この項一応終わり)
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震
ジャンル : 日記

東北関東大地震の体験(その2~その後の一週間)

東北関東大地震の体験(その2~その後の一週間)
 震災の翌日即ち3月12日と13日は土日で休日であったが、早朝に今度は新潟中越地方を震源とする震度6近い揺れに叩き起こされる。震源を少し変えて2回立て続けに起こり、場所が違うだけに「何故に?」と皆思った。そしてその余震、そして三陸沖の余震と正に余震だらけの休日が始まったのだ。JASONは籠城を決め込み家での用事を片端から片づけた。
 そして週明けは計画停電という世にも不可思議な、そして初体験の出来ごとで始まり、再び首都圏は大混乱に陥った。深夜遅くに決まったというこの行政措置。朝に駅に行ってみると「運休」という目に遭われた方々は大勢おられたと思う。幸いJASONの駅からは始発電車というのが一日一本だけあり、駅内の業務放送を注意深く聴き、これに乗れたのでカオスには遭わなかった。辿り着いたオフィスは半分くらいしか出社していない。電車の殆どがストップしているのだから当然である。その頃から物資の不足、つまり供給が全く無くなった事に寄る不足が始まり、コンビニの棚から食料品が消え去った。昼食は会社出入りの仕出し弁当。聞けば休業の会社が多いので逆に食材は余り気味という。よって急増した我々の注文は「嬉しい悲鳴」になっていたらしい。
 オフィスでは余震でノイローゼになり体調を崩す人も多くなってきた。特に海外から来られている若いメンバーは地震自体が初体験。独り暮らしのアパートでは余震に耐えられず、近くの小学校に避難して寝ているというから大変だ。精神科で鎮静効果のある薬を処方して貰っている女子社員とかとにかく若い人々のダメージは相当なものだ。
 そして追い打ちをかけるように明らかになったのが原発事故。首都圏には問題無いという意見から、政府は何かを隠しているという陰謀説まで様々な流言飛語が飛び交う。この頃から家族を関西の親類に移すメンバーも出だした。また買占めという許されない行為が横行し、ガソリンからトイレットペーパーまで必要物資がどんどん無くなっていく。こうしたことは蓮舫さんに任せるよりマスコミがその現場まで例の如くしゃしゃり出て徹底的に糾弾し吊るし揚げるべきだと思うのだがいかがであろうか。(その3に続く)

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東北関東大地震の体験(その1~当日)

東北関東大地震の体験(その1~当日)
 地震から一週間が経過した。当該被害に遭われた方々の一日も早い復興を祈念すると共に亡くなられた方々には深い追悼の意を表したい。
 ここにその体験の一端を述べておくことは少なからず意味があると思い認めた次第。
 先ずはJASONの遭遇した状況から。当時は都内のオフィス(16階)に居た。激しい縦揺れが起こり続いて大きな横揺れが5分以上も続いた。実は2日前の昼前に同様の横揺れがあったのでその程度かと思っていたら甘かった。何しろ横揺れの振幅が違う。オフィスのラックは倒壊、コートハンガーも倒れ、机の引き出しが大きく出入りする。その音が不気味に響き渡った。窓のシャッターが激しく揺れこれもガタガタいう。暫し後に収まったと思うと、またまたドーンと余震が来る。身動きも出来ず、余震で蛍光灯が落ちてこないかとひやひやする。10分程あとにテレビやネットで事の重大さ深刻さを知ることになる。ビル群の中には最上階から黒煙が立ち上っていたり、街は大混乱だ。当然電車は総て運転見合わせ状態。しかも電話やメールなどの通信手段も全て断たれて仕舞う。
 オフィスでは幹部が早速打ち合わせて帰れる人は即刻退社の指示がでる。JASONも電車はもう駄目と覚悟し、徒歩なら先ずは明るいうちと帰宅に取り掛かる。上司と地図を前に帰宅経路を確認して16階を階段で降りる。ビルを出てみるとこれまた帰宅難民がゾロゾロと行列をなしている。永代橋を渡りその流れは東に向かう。地下鉄に沿うて歩いてみる。これだと駅がランドマークになってくれるからだ。駅にはシャッターが降りているところもある。つまり今日はもう運転しないというわけ。バスやタクシーは渋滞で殆ど動いていない。歩いている若い女性たちは意外に明るく、おしゃべりをしながらゆるゆる歩く。初めは苛立ったがそのペースだと自分に疲労が溜まらないことに気が付く。信号も出来る限り止まり休息する。自分が歳であることを改めて認識する。S線の小さな踏切を渡り念願?のM通りに出る。これからは北上するがランドマークはN駅しかない。ここが長かった。しかも夕闇がどんどん濃くなって気温も下がってくる。遠い夕陽にN駅の建物がキラリと光ったのを見たときは正直安堵した。
 およそ2時間近く歩き自宅のマンションに辿り着く。当然エレベーターは止まっているので階段で上がる。女房は連絡が出来ないので会社に泊まるものと思っていたようだ。ひとまずほっとするが、その後の余震には参った。(その2に続く)

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季節の音楽(弥生)

季節の音楽(弥生)
 季節の音楽(弥生)はバッハのブランデンブルグ協奏曲を採りあげる。バッハのブランデンブルグ協奏曲は例の器楽曲の傑作が集中していることで名高いケーテン時代に作曲されている。全六曲は協奏曲の形式、即ち緩急緩の三楽章からなっており、中でも第三番、第五番がその親しみやすい旋律、ダイナミックな構成で人気が高い。特に第五番は鍵盤楽器(即ちハープシコード)、フルート、ヴァイオリンが独奏楽器として登場し、トリオだけの演奏、トリオと弦楽合奏団との共演、更には第一楽章後半の長大なハープシコードの独奏、と正にその千変万化な趣はバッハの独壇場といってよい。更に夫々の楽器に名手たちを揃えるという贅沢な楽しみもあるのだ。SP時代にはピアノ(ハープシコードではなく)がアルフレッド・コルトー、フルートがマルセル・モイーズ、ヴァイオリンがアンドレ・ブッシュ、というメンバーのアルバムが名盤とされていた。
 さて、小生はこれらの三番、五番の他に六番が好みである。これはヴィオラを中心とした弦楽器だけの演奏で幾つかの和声がヴィオラの重厚な音色と共に進行していく様が何とも言えぬ。
 1970年半ばに小生が新入社員だった丁度今頃、ベルリン放送管弦楽団が来日公演をFMで体験したのだが、そのメリハリの利いた演奏にいたく感動して、その録音テープを何度も聴き返したものだ。勿論、その頃はイ・ムジチもパイヤールもミュンヘンバッハも知ってはいたが、この演奏はライブ特有の緊張感とバッハの遊び心がマッチした今まで体験したことの無い素晴らしい内容に満ちていたのであった。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

ジョージ・シアリング逝く

ジョージ・シアリング逝く
 去る2月14日にイギリス人で盲目のジャズピアニスト、ジョージ・シアリングが亡くなった。享年91歳であったという。ジョージ・シアリングを知っている方はもう殆どおられないかもしれない。1940年代から活動し、独特のブロックコードで注目され、様々なジャズピアニストに影響を与えた。更にピアノ、ヴァイブ、ギターをユニゾンで鳴らし、一種の洒落た音色を生み出し大評判を取った。これにリズムセクション、即ちベースとドラムスを加えたジョージ・シアリング・クインテットは一世を風靡したものだ。代表作「九月の雨」はそのサウンドが100%発揮された名演といってよい。そしてストリングス(弦楽アンサンブル)をバックにしたアルバムは一見ムードミュージックに聞こえるのだが実際そこにはジャズ・スピリットが流れており、極めて上質なパーフォーマンスが楽しめる。一方では「ララバイ・オブ・バードランド」を始め数々の名曲を作曲した優れたライターでもあったのだ。
 1970年代後半からはコンコードジャズのメンバーとして活躍。特にジャズヴォーカリスト、メルトーメとのデュオアルバム「アン・イヴニング・ウィズ・ジョージ・シアリング&メル・トーメ」はグラミー賞を受賞した。その頃、ベーシストのブライアン・トーフとのやはりデュオで自作曲「ララバイ・オブ・バードランド」を演奏しているアルバムではアドリブ含め完全にバッハの曲(らしき展開)になっていたのが感動的であった。
 小生は1990年代にコンコードジャズのメンバーとして来日した際に聴きに行っている。ピアノのソロであったが、なんと「さくらさくら」を題材にした曲が実に印象的であった。これは今でも耳の中に響いている。ご冥福をお祈りしたい。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ホームページの裏話(82)

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ホームページの裏話(82)
 さて今回も現在アップ中のチェリーとジャンヌ「トミーとウイルの物語」についての裏話を記してみよう。題して「カナリアの謎」である。このカナリアは物語の最初の方ではウイルの演奏シーンで少しだけ登場する。その後暫く姿を消しているが、トミーがウイルからサックスの手解きを受けるあたりから再び登場してくる。しかもかなり目立つ大きさとなっている。これは「カナリア=唄を歌う」ということから「音楽を司る守護神」みたいなものとして描かれているのだと思う。よってウイルがトミーに「音楽の真髄」を教えるシーンでは目一杯登場して「唄っている」のがお分かりいただけるはずである。
 また昨年2月号(友去りしあと)では誰か(?)のお墓の前でカナリアと共演しているが、ここにきてその意味にお気付きになられたことと思う。トミー君は成功して真っ先に師匠に報告を兼ねて墓参し、オマージュを捧げ、師匠の化身であるカナリアが喜んでいるのである。

テーマ : イラスト
ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

JASON

Author:JASON
はじめまして。JASONと申します。ホラー映画が大好きで放映される作品は大概録画して観ています。時間が許せば劇場にも足を運びますが、ことホラー映画に関して言えば米国で公開された数の十分の一くらいしか我が国で公開されないのが残念です。因みにハンドルネームのJASONは御存じ13金のシリーズから取ったものです。さて小生の他の趣味ですが楽器では習い事レベルですが、クラシックのヴァイオリンとジャズピアノを奏します。またカクテルに興味があり、冬はマンハッタン、夏はマルガリータなどを作って楽しんでいます。更に ホームページギャラリー「チェリーとジャンヌ」を公開中です。黒猫チェリーと白猫ジャンヌが登場するイラストストーリーとギャラリーの二本立てになっています。見て頂いた方々のご感想や意見交換などをホームページつくりに反映していきたくよろしくお願いします。なお、URLはhttp://parnassum.web.fc2.com/です。

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